2018年 02月 20日 ( 1 )

おらおらでひとりいぐも

テレビのニュースで、若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』が、第158回芥川賞受賞を告げた。
そのタイトルから宮沢賢治の『永訣の朝』を頭に浮かべた多くの人がいたと思う。

(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
「雨雪取って来て頂戴」と言う旅立ちが近い妹の願いは、思い浮かべただけで胸に迫る。

読みたいと図書館に行ったら、貸出中で待機者なくほどなく借りる事が出来た。
読了後、昨日は図書館で再読。
ひと言、いい本に出会った
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突然の夫との別れ、葛藤、孤独から来る寂しさ、頭の中に湧き出る出身地の言葉(ざっくり分けたら東北弁)。
青森県内でも大きく分けたら津軽弁と南部弁があり、ここはどちらかと言ったら南部弁の方で、岩手の言葉はある程度分かるし、イントネーションもそれなりに表現出来る。
その方言を使いながら、主人公桃子がこれまで歩んだ人生の中でのその時々の桃子が現れる。
そして描かれる、老いと老いの兆し。

宮沢賢治の宇宙と、方言のリズム、イントネーション、温もり、それらがない交ぜになり、哲学書のような気がした。

最後のシーン、孫に人形を繕って欲しいと言われ、二階の階段を上って行く桃子。

そこに浮かんだ絵。

再生と、光と、踏み出す一歩を感ずる作品には、いつも力をもらえる。

昼は何か食べてと出掛けたので、途中休憩コーナーで微糖の缶コーヒー一本で頭がクリアになり、すっと読めた。
帰宅後、夕飯も近いしと、桜餅の道明寺が残ったのを小さく丸めてほうじ茶で、美味しいお茶タイム。
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『おらおらでひとりいぐも』は、一人になった作者の心情。
今の私(たち)は『おらだぢはおらだぢでふたりでいぐも』。
二人だから、二人分の老いと付き合いながらのこれからの道程。
どちらが一人になるのかは、神様の思し召し。
その時になったら、残ったどちらかの『おら』は、強く生きるべきであり、生きてって欲しい。

この本、時が経ったら又読みたいし手元に置きたい本になったので、買うことにした。

そう、好きな場面をひとつ。

75才になろうとする桃子が亡夫の墓参に訪れた初秋。
途中足を挫いてしまい、痛みと不自由さの中で歩くシーン。
一人の墓参であっても、小さい頃からそれぞれの年代の桃子さんが登場し賑やかな墓参。
その桃子さんたちとお弁当を食べ、帰りはバスで帰ろうとふと横を見た。
その途端、赤いものが目の端に飛び込み、それはカラスウリの赤だった。

未だ、十分に赤い。あいやぁ、こんなどごさ、なんで。
桃子さんは笑って、ひとしきり笑って、
あ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(一部略)

 ただ待つだけでながった。赤に感応する、おらである。まだ戦える。おらはこれがらの人だ。こみあげる笑いはこみあげる意欲だ。まだ終わっていない。桃子さんはそう思ってまた笑った。


こみあげる笑いはこみあげる意欲・・・いいな。
私も又これから先、その時々の頃子さんと話しながら、問いかけながら歩むと思う。

saheizi先輩の読後感も良かったので勝手にリンクでよろしゅうに♪


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ちびっ子たち
by koro49 | 2018-02-20 11:52 |