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静かなお茶タイム

本日のお茶タイムは、旅の空セット。
小さな花入れは、手のひらに丸く収まり、素朴な花がお似合い。
ジャスミンティを淹れて、茶器は以前送ってもらったもの。
茶杯って言うのかな?を温め、一分間待ってる時。
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音の無い、静かなお茶の時間も又良し。
スズメさんのチュンチュンの鳴き声と一緒に。

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11日に故郷に行ったとき、短時間だけど伯母にも会って来た。
昨年の8月に体調を崩し入院、その後青森の病院に転院したけど、故郷に帰りたいとひとり暮らしだった家に帰宅。
当時は介護する人がなくては、とても無理だった。
子ども達がシフトを組み、年末を目途に協力して介護。
ただ、子ども達にも生活があることは認識していて、末っ子のJ子ちゃんを早く家に帰さないとと、村内の特養を自分も見に行き入所。
そこから同じ村内の高齢者生活福祉センターのデイサービスに通所、同じ施設の居住棟に移ったのが4月初旬だったと思う。
居住棟に入居出来るのは自立していることが条件と聞いていたので、大丈夫かなと思っていた。
昼になってしまってい、居室を訊き「かあさん!」と声をかけたら、にっこり。
「あれ、よぐ来たごと。今うどんたべでだ」
配食サービスはあるけど、自分で作れるからと、夕食だけお願いしているのだという。
小さなキッチンには電磁調理器があり、冷凍庫付きの小さな冷蔵庫、レンジ、キッチン全てが当然車いすで使える高さ。
で、作れないだろうと思ったものを少し差し入れ。
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冷凍してもいいと思い、おこわ。
食べたいだろうと漬け物。ポテサラも好きだったはず。煮物はタッパーに。
ご飯のお供のきゃらぶき。
居住棟の人たちでお茶の時間があると聞いたので、小さなお菓子。
「冷蔵庫に入れる?」
「うん、ありがとう!ワイ(私)入れるして、こごさ置いでいいよ。今日だっきゃ煮しめも作った・・・。」
「えっ?すごいの・・・。」
キッチンを見ると、午前中にヘルパーさんに買い物してもらい、作った煮物が鍋にいっぱい。
「あっ、これ持ってがせ」って、食卓のキウイを一個持たせる。
「レタスも冷蔵庫さ入ってだして、それも持ってがせ・・。」
「いいよいいよ!かあさん食べせ。」と言っても聞かず、昔から寄れば目の前の畑から何かを採りお土産に持たせてくれたから、黙って帰せないんだなと、「ありがとう!」
玄関までは結構遠いけど、車椅子で見送ってくれる。
レタスを取り出す際に開けた冷蔵庫には、蕗の漬け物も入っていたし、知己の人たちが時々訪ね、差し入れもしてくれているみたい。
もともと料理が好きで、色々工夫して作る人だったし、いっぱい作っては食べさせるのが好きだった人だったから、自分で作って食べれる事が何よりの幸せ。

昨年の8月の入院からここまで、4度の引っ越しだね、かあさん。
ここは自立出来てる間だから、その先のことも話していると聞いたけど、元気で少しでも長く今の暮らしが続けばいいな・・・又ね!と手を振る。
その日の夕飯のムニエルに添えたレタスは、パリッパリと美味しかったよ!

この秋には92才になる伯母から、老後の「終いの棲み家」に辿り着くまでの心構えを学んだ日。
by koro49 | 2013-06-14 17:18 | いつか通る道 | Comments(10)
Commented by kuukau at 2013-06-14 22:55
見事な処し方。見習わねば。
決断が如何に困難で、必要かと両方の親を介護して思いました。
母はいつまでも慣れた家にしがみついて引き離すのに苦労したよ。
Commented by あら~古稀 at 2013-06-14 23:16 x
一人ゆったり静かに淹れるお茶の時間...そう大切ですね。
思い出の詰まった、茶器とも何時かは別れなければと思う近頃です。
お写真にkoroさんの気持ちが良く表れて何か私までホットしました♪
「差し入れ」...koroさんの優しさに胸が熱くなりました。
伯母さま気丈で明るいお方なのですね、私もそう有りたいです。
   「いつか通る道」...参考になりました。
Commented by koro49 at 2013-06-15 20:26
>空子さん
この伯母のすごいと思う所は、伯父が倒れた時、当初3ヶ月ほど付き添いさんも頼んでの入院だったけど、その間自宅療養の準備をして、寝たきりの伯父を5年間介護したのです。
82,3才から87才位までかな?。当然その中には家族だから出来る医療行為も入っていました。もちろんご近所さんの協力もあったと思うけど、当時同居していたいとこにも頼らず。
その後、ひとり暮らしになったけど、好きな農作業とか料理はいつも。倒れる前はやはり体調は良くなかったらしい。何より子どもに心配かけることを良しとしない人。それほどまでと私などは思うけど、自宅に帰りたいと言ったとき「明日死んでもいいから」って。
それでいとこも決断したのでしょう。
Commented by koro49 at 2013-06-15 20:27
>空子さん
続き^^。
呼吸器も準備、おしっこの管は特養入所時も装着していたそうだけど、間もなく外し、今は昨夏の状態が信じられないほど。
でも、病気があるから、伯母も周りも覚悟はしてると思う。

決断ね、私の場合は決断出来る状態の今の内に、自分の老後の事は伝えている。
子ども達は、生活があるしね。
周りが決断する時には、複数の意見がまとまらなくてはいけないから、自分で決めた通りにして欲しいと。
たまに顔を見せてくれたらいいし、離れていたらそれも無理かな?と、PCは操れる状態で入所希望^^;
ユーモアを忘れず、明るく楽しく老いたいでっつ♪
Commented by koro49 at 2013-06-15 20:32
>あら~古稀さん
音の無い時間も貴重ですね♪
そう、思い出の品もほんの少しにしておかないとと。
見せて欲しいと言った人に引き継ぐのが一番ですね。

そう、伯母は家に居た時から歩行器使用。
最近は畑仕事もあまり出来なかったようでも、ご近所さんの協力で作っていたようでした。
前向き、明るい人ですね。
どんな状態になっても、私もそうありたいですけど、変化するんでしょうね^^;
Commented by 悠々 at 2013-06-15 21:05 x
この母にしてこの娘、感動です。方言が胸に沁みます。
お母様も、伯母様も素敵です。見習いたい。絶対に子供達に迷惑をかけない老後を、これが最大の希望ですが、実際はわかりません。
加賀乙比古さんは講演後の質問に答えて、「人は歳を取ったら、誰かに迷惑をかけるものです。」ときっぱりおっしゃいました。
それを前提に謙虚に、いかに自立して歳を重ねられるか、一番の関心事です。
Commented by koro49 at 2013-06-16 21:30
>悠々さん
子どもに迷惑をかけたい親は居ないと思うけど、その時にならないと分かりませんよね。
ただ、決断を子どもに委ねるのは避けたいなと思っています。
そう、迷惑かけて当たり前だけど、私たちの次世代は多分働き続けなければならなくなるでしょうね。
色々考えます。

今回、伯母を見て思ったのですが、伯父を介護していた時も今も、小さな集落だったから出来たこともあるし、出来ていると思います。
特に介護していた時は、ご近所さんがいつも顔を出してくれていたようだし、前の畑も手伝ってもらいながらやっていた。それらの事は介護者の伯母にとって、大きな力だったと思いますね。
孤立は全くしていなかったと思うし、自分のしたいことも手伝ってもらいながらも出来た。
人の出入りもあったから、外からの空気の流れもあった。
これが都会でひとりで介護だったら、詰まってしまうのは目に見えていますね。
Commented by koro49 at 2013-06-16 21:30
>悠々さん
続き
これからは老々介護は普通の事になります。
そんな時は、小さな集落の方が都会よりいいのでは?とちょっと考えました。
施設入所にしても、○○のおばあちゃん、△△のかあさんと言う感じで、お互い顔見知り、その人のバックグランドもある程度分かり合っている。
超高齢化に向かっては、過疎地が案外暮らしやすいのかもと考えたり^^。
Commented by 悠々 at 2013-06-16 22:46 x
koroさん、大納得です。生まれ育ったところは、本当のど田舎でした。近所中が皆顔見知りで!向こう三軒両隣、皆親戚みたいでした。
皆で子供を育て、皆で年寄りの面倒を見て。どこの家にでも入っていったり。一緒に笑ったり。垣根はなかったけど、別に、個人情報とかプライバシーとか考える必要も無かった。
色んなことが進歩し過ぎて、かえって想像出来ない窮屈と不便さと息苦しさを感じますね。
保険料や医療費の対策も必要だけど、人的資源というか町のあり方を考え直さなければいけない時期ですね。もっと古きに学んで欲しい!
Commented by koro49 at 2013-06-18 20:30
>悠々さん
お返事遅れてごめんなさい^^;

>保険料や医療費の対策も必要だけど
私もそれを考えます。
受ける側の権利だけ主張しても、問題は解決されません。
国、自治体に出来ることは、範囲が狭まって行く気がしますね。
そうなった時、やはり少しでも出来ることはする、助け合えることは助け合う。
人的資源の活用について思うのは、自分が元気で時間のある時、それを他の人の介護や家事のヘルプに活用し、自分が老いた時に、それを利用する・・・そんな制度に取り組んだ自治体もあったように思います。
でも、その後どうなってるのかな?
そんなのこそ、地域を限らず全国共通のシステムとして構築して行くべきで、それは国が音頭を取らないと、うまく機能しない気がします。

出来ることは自分でする。
助けが必要な時は、助けてもらう。
それがスムーズに流れるようになればいいのですが。
小さな集落の助け合いにも、ヒントはありそうですね。

大人世代が、未来の人たちへの負担を減らすためにも。
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