今から40年ほど前だと思う。
1972年の札幌オリンピックが開催される以前、そのテーマソングの 『虹と雪のバラード』 が、名前は忘れたけど関西の高速道路(東名?京阪?)のカーラジオから流れていた。 運転していたのはすぐ下の弟。 学年は二学年下だけど、私は3月生まれ、弟は翌年の4月生まれで13ヶ月しか違わなかった。 その弟は高卒後大阪に就職し、23歳を過ぎたころだったかな?晩生(おくて)だったと思う私は、ある日一人旅に出ようと思った。 当時のことだから海外は夢の又夢で、京都方面がいいなと決め、目的地に着いたらその夜の宿泊先を確保しながらの予定の無い旅。 それを知った弟が休みの日、一日レンタカーを借りてあちこち連れてってくれた。 会社のコンピューター室も見せてくれ、A4サイズほどの電卓が15,6万したと思う信じられない時代に、畳より大きかったと思うコンピューターは私には何をするものなのか?ただ見ていただけ。 システム開発の賞状があったような気が。 守口市にあった寮にも連れてってくれ、他はどこに連れてってもらったっけ? そう、「ここが御堂筋・・・」と通ったね。 京都にも行ったはずなのに、一番記憶に残っているのは高速道路のカーラジオからの『虹と雪のバラード』 高速道路は走るのも初めてだったから、入る時も下りる時も緊張した気がしてたけど、『虹と雪のバラード』を聞くたびに、あの時のドライブに戻っていた。 *********************************************************** *********************************************************** 17日の午前3時半、蛍光灯も点けたまま、半袖のパジャマ姿で畳んだタオルケットと肌布団の上に足を載せたままの格好で目覚める。 前夜ベットに横になった途端、眠ってしまったんだと思う。 目覚めたのは肌寒さを感じたのか、別れの気配を感じたのか。 そのまま起きて深夜便でも聴いてたら、4時51分に旅立った最期の時を分かち合う事が出来たのにね。 ねぇはタオルケットを羽織って又眠ってしまったよ。 昼に電話が鳴り義妹から訃報を報らされる。 突然のことで言葉もなかったけど、急いであちこち報せ、駆けつける交通手段を探してもらう。 飛行機の最終便は取れず、取れたのは急行の自由席。 弟家族、姉弟それぞれが全くの非日常の中に置かれ、それでもなすべき事は黙っていても次々と進んで行く。 会館から斎場までは30分ほどだったかな? バスの中から札幌の秋の気配の空を眺めながら、やはりあの日の『虹と雪のバラード』を脳内リフレイン。 私が中学二年だから弟は6年で、撮った人は父。 この時はそんな背格好は違ってないけど、この後どんどん大きくなり、私はほとんどそのままでぽっちゃり街道に進んだ気がする。 姉弟6人だったけど、一番下の弟は生後3ヶ月も経たずに亡くなっているので、実質5人で歩んで来た姉弟。 中でも長男としての弟は、女ひとりだった私と違い背負う物も大きかったかもしれない。 順風満帆だったと思われたサラリーマン生活を捨て青森に帰ったのは、いつかは故郷の近くにとの思いが一番だったと思う。 独立後はサラリーマン生活のように上手くはいかず、それでも安易な道を選ばす、母よりも早い年での旅立ちになってしまったけど、多分「兄さん、車椅子押して!ベットから起こして!!」と母が向うから呼んだからかも知れないな。 姉としては厳しい事も言ったけど、不器用に苦しみながら人生を歩んだことは尊敬するし、又いつかそっちで丸い食卓を囲んで皆でご飯を食べようね。 初七日の今日、シュウが行かない?と誘ったけど、日々の暮らしがあるからと断わり、義母のデイサービスの本日、雨の庭から鉄砲百合を切って供え、この家の仏壇だけど、どの宗教も手を合わせる先には同じ祈りがあると思う私は、ひとり静かに冥福を祈る。 BGMは♪Amazing Grace ♪ ひとりだったから、仏壇に届くような音量で。 今日は義父の月命日で、御霊供膳の汁は『けの汁』 以前、けの汁の話をしていたけど、私のけの汁は食べた事なかったね。 手を合わせながら今何が食べたいかな?って考えてたら、母が作った「キャベツの油炒め」と言うような気がして、キャベツを買って来たよ。 何にも入らない人参の千切りが少し入った柔らかめのキャベツの油炒め。 今夜作るよ。 周りのみんなから『K坊兄さん』と慕われ、それぞれに多くの想いを残して突然の旅立ちだったけど、故郷での納骨には遠くからでも駆けつけたいって言ってくれている。 それまで青森の家で家族とゆっくり過ごしてね。 ねぇもそのうちそちらに行くけど、そしたら又ギター弾いて一緒に歌おう。 両親、祖父母、小さな弟、そしてハナにはもう会えたかな? そしてそして、静かで懐かしいそちら側には、懐かしい人たちが待っているね。 *********************************************************** *********************************************************** 21時30分追記 父の旅立ちの時から、荼毘に付す煙を見つめるのが好きになった私だけど、札幌のその場所は建物が大きすぎ、その煙を見ることは出来ませんでした。 眼の前には霊園が広がり札幌の空に昇った弟と、あの40年ほど前の高速道路での『虹と雪のバラード』に、こんな終わり方があったのかな?と。 最後に会ったのは昨夏の両親の法要の時。 その前日この家に立ち寄り、義父に線香を手向けてくれ、市内に住む弟の所に送る車中で、これからのことを少し。 後少ししたら故郷に帰る・・・。 それは伯母に畑をやりたいと話してたという夢と共に叶わなかったけど、中卒後故郷を離れたので、望郷の念は長男の重さと共に想像以上だったと今更ながら思います。 母が旅立った時、お骨拾いが終わったのに弟たちがしばらく帰宅しなかったけど、それは故郷に帰りたがっていた母に故郷のあちこちを見せていたからと言うことを知りました。 弟もそうやって送れたら。 20日に帰る予定だったらしかったけど、病気を知りつつ仕事していたのでしょう。 義妹が駆けつけ救急車で搬送されたけど手遅れでした。 救急車が到着する前、食べたいものを訊いたら「イチゴのガリガリの練乳かけとヨーグルト」と答え食べたそう。 帰宅後、私も滅多に食べないイチゴのガリガリ練乳かけを毎晩。 さすがに今日は肌寒いから食べれないかも・・・ そう、今夜はキャベツの油炒めを作りました。 大阪での結婚式の引き出物の赤絵の小鉢、そそっかしい私にしては珍しく一個も壊すことなく揃っていて、キャベツの油炒めは似合わないと思ったけどそれを使用。 家人にも義母にも何も言わず、私だけの初七日。 折々の弟の表情、言葉を思い出しながら、最後に聞いた電話の声は嬉しそうな初孫誕生の報告。 人生には突然があることを両親に教えてもらったのは私の財産のひとつと書いたばかりだったのに、自分より年下の突然には立ち止まってしまいました。 でも、積み重ねるべき日々はあたり前にあたり前の顔でやってくるので、ある意味それで救われています。 自分の身に起きた事には自分で対処して新たな自分を構築していかないとと最近特に思うので、明日からは又、日々の何気ない事をメール代わりに。
by koro49
| 2011-08-23 16:19
| 思うこと
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Comments(10)
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saheizi-inokori at 2011-08-24 10:29
弟さんのご冥福を祈ります。
温かい人だったんですね。 がりがりのイチゴですか。 虹と雪のバラードには私も思い出があるのですが、もう一つ加わりました。
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koro49 at 2011-08-24 17:25
>saheiziさん
ありがとうございます。 今色んな人たちを見るけど、世渡りべたで不器用で、もっと楽な生き方もあったと思うけど、それを選ばずに、後半は家族と離れて頑張っていました。 姉としては「頑張ったね!」と誉めてやりたい。 歯がゆさに叱ったこともあったし、姉ゆえきつい事も話したけど、でも、今は全ては優しい思い出に変わりつつあります。 又会おうね!と心の中で。 良く姉弟、従姉妹たちと歌を歌ったものでした。 ガリガリイチゴ、さっぱりするものが食べたかったのでしょう。 母のキャベツの油炒めは、少しの砂糖が隠し味のしょうゆ味。 千切りよりちょっと太めのキャベツでした。 虹と雪のバラードはいい曲ですね。 saheiziさんにも大切な思い出の曲だったのですね♪
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kuukau at 2011-08-24 21:33
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at 2011-08-24 23:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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koro49 at 2011-08-25 15:49
>mamaさん
ありがとうございます。 つくづく突然が好きな家族だなぁって^^; 故郷でのんびりさせてやりたかったけど、叶わないから、みんなが眠る場所で安らかにと思っています。 順序を守らないと駄目だよ!って心の中で^^; でも、又会えます^^
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koro49 at 2011-08-25 15:50
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at 2011-09-09 10:08
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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koro49 at 2011-09-09 17:41
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sonoma0511 at 2022-09-05 21:31
こんばんは。
時間が今でないとは思いましたが2011だったのですね。 写真を拝見してもそこに信頼の文字も写っているような 素適な笑顔。温かい家族の中で育ったごきょうだいとも 写真の中に見て取れます。 koroさんの温かさ、優しさ、厳しさ、強さが培われたのも そのご家庭があったからでしょうね💕 弟さんは親愛なるお姉ちゃんを、しっかり見守っている でしょうね。まさに血を分けたきょうだいは他にかえがたい 哀愁も感じる存在です。貴重なお話しありがとう。 弟様の安らかな眠りをお祈りいたします。
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koro49 at 2022-09-06 11:19
>sonomaさん
おはよう♪ そうなの、もう丸11年過ぎた。 あっという間。 何しろ下に子分が4人^^; 全て男子というのもちょっと寂しい時もあったけど、それはそれで今はね。 私も甘ちゃんだったと思うけど、父が旅立って何となくこれではいけないと思い始め、心配かけず、倚りかからず、元気に暮らすのが一番と思うようになった。 長女、長男・・・その下とでは、性格に違いが出るのもあたり前だけど、時には下の兄妹がしっかりしている事もあり(小説などで)、色々面白いものだって^^。 人生甘辛だけではないよね。 辛味だって、酸っぱさだって、塩辛さだってある。 それのハーモニーだよね・・・色も同じで組み合わせで、彩られる。 昔と今の自分を比べたら、信じられないかも知れないけど、昔は大人しくて、いるかいないか分からないと、祖母に言われてた^^; 今は言うべきことは言うようになり、今の自分の方が好き( *´艸`) 夫にも物申すようになり、偉くなったもんだ。 お互い気付かず軌道を外していることはあると思うので、それは言うようになった。 体の不調はあたり前、でも色々クリアになっていくのも年を重ねる良さだよね。 今は『時』が宝物。 有限だからこそ、大事に使いたいね。 期限が分からないからミステリー^^。
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