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旅は「他火」

今日の朝刊の、民俗研究家の結城登美雄さん執筆の「わが青森紀行」の文に目が行きました。今回で連載11回目なのですが、私が読んだのは今日が初めて。
いかに、新聞をちゃんと読んでないか・・・
その中で、共感し、考え、嬉しかった文を一部抜粋で載せます。

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民俗学は、旅の語源は「他火」にあると説く。他火とは他者または他の地にともる火のこと。火は囲炉裏のごとく暮らしの中心。中心はゆらがずにありたいと誰もが願うが、それを許さないのが世の中である。ゆさぶられ、ゆらぐ暮らしと人生を立て直すために、人はその解決を旅に求めた。農民ならば冷害に強い稲を探しに北の村をたずね、人生に行き暮れれば、西行や山頭火のように歌を杖に旅に出た。旅に出て他の地にともる人の火にあたらせてもらい、己が悩みを打ち明けながら、炉辺の語り合いから知恵やヒントをもらって再び故郷に帰っていったのである。
 旅は他火である。いま求められている旅もその思いは同じなのではあるまいか。行き詰まる都市。ゆらぐ農山漁村。停滞を脱し切れない日本。火を囲み、心を交わし合う場が必要になってきた。もう一度、暮らしを立て直すための旅が求められている。だが、悲しいかな私たちには地域を経済指標でとらえるクセがまだまだ残っている。その目の曇りを払い、青森や東北を産業や経済の視点だけではなく、暮らしの目でとらえ直すとさまざまな発見があることに気づかされる。

 昨年11月、駆け足で青森県内をまわったとき、次々に目に飛び込んでくるのは、例えば冬の暮らしに備えた大根干しの風景。漬物が買って食べるものになって久しい現代に、青森各地には必要なものは自分で作るという暮らしの思想が健在だった。もとより漬物は発酵食品。いわば女性たちが経験から導き出した生活のバイオテクノロジー。

 訪ねるたびに青森は私たちが失いつつある生活の基本をきづかせてくれる。グリーンツーリズムは、そんな風景を読みとく旅でありたい。そして食の原点から最先端までを学び味わえる青森県は次代を生きる人間の生きた食育の場でもある。格差社会をことさらに強調して深刻になるより、所詮経済も人の暮らしの道具のひとつ。足りなければ工夫すればよいではないかー。
そんなおおらかな生き方を示す風景が、青森のあちこちに広がっていると思う。

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後半は青森讃歌のようで面はゆくも嬉しく読むと同時に、果たして今の私が先人の知恵をどれだけ受け継いで自分のものにしているか、どれだけ次代に伝えれるのか、ちょっと背筋を正された気もしました。
自然の恵みの変化、住宅環境の変化、地域交流の変化などで、全てのものを受け継ぐ事の難しさを感じるのですが、出来る範囲で私の体が受け継ぎ覚えていることを再現したり、次代に伝えたいと思いました。

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『花開富貴』
白牡丹の芽を束ね、白茶の芽、千日紅、菊の花がゆっくり開いていきます。
旅は「他火」_c0024861_14492475.jpg旅は「他火」_c0024861_14495080.jpg旅は「他火」_c0024861_14501047.jpg





開くまでの時間が楽しい。
by koro49 | 2008-03-09 14:52 | 思うこと
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