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ありがとうございました

今朝、桜並木に積もった新雪がイルミネーションのように綺麗だと思いながら、ゆっくり運転で故郷へ。
年末の29日に旅立った伯母の葬儀を終えて帰宅。
帰途のいつもの深呼吸場所。
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昨夜来て、2時のフェリーで帰る弟を見送りに行ったら、既に船内だったので電話で「気を付けて!」
強風で白波が立っていた。

やはり、こんな時でないと、懐かしい人たちには会えなくなっている。
ゆっくり話す時間もなく残念でも、又ね!



96歳の天寿を全うした伯母には、夏に会ったのが最後だった。
いつも帰る時には車椅子で玄関まで見送ってくれたっけ。
昨夏は弟が未だ話をしていたので部屋で別れたけど、まだまだ元気と思っていて、秋に行けなかったのが残念。
朝、昼は自分で準備して食べ、夜は施設の食事。
デイサービスも利用しながら、ヘルパーさん、地元に一人と離れて暮らす子供たち四人、近所の人たちの助けを借りながらでも、最後まで前向きに過ごしていたと思う。
元気に家で暮らしていた時は、誰もいなくなった実家に弟たちが帰ると、色々食べ物を差し入れしてくれ、それは誰にでもそうだったと思う。
自分が食べなくても、子ども、孫に送り、送ってしまえば自分も食べた気になると笑っていた。
そんな人だった。
今、孫のT君が作った『軌跡』のタイトルが付いたDVDを二度見て泣いてしまった。
そのことは、又いつか書きたい。

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昨夜の通夜には家人に参列してもらい、通夜の後の遺影に向かって話しかけた孫のT君のお別れの言葉を、飲みながらしてくれた。

「ばば、お疲れさまでした。」
から始まり、どんなに自分が愛されて育ったか、息が苦しくなるほど「可愛い」と抱きしめられ、皆からも愛情いっぱいに育ててもらったから、兄弟はいなかったけど、寂しいと思ったことはなかった。
シングルマザーで育てたいとこの分も、愛情いっぱい、母と同等、もしくはそれ以上の愛情で育てたと思うし、「ばばがいたから、今の僕がいる。いつか何十年か後、そちらで会ったら、又ギュッと抱きしめて・・・」そのような事を話したという。
その話を伝える側も、私も涙。
「母さん(伯母)にとって、これ以上の幸せなことないね。」

一度こっぴどく叱られたことがあり、それは船でイカ釣りに行く事を告げた時。
危ない事はさせたくない親心、口もきかなかったという。
釣って帰ったイカを冷蔵庫に入れて寝たら、朝ニッコリ笑顔で、刺身を作ってくれたという。
そのイカ、私の母ももらったかも知れない。
「T君、イカ釣って来て持って来てくれた。美味しいイカだった。」と電話で話したことがある。
小学生だったT君が釣ったイカ、何のイカだったか、柔らかくて美味しいと話していた。

訃報を聞き、駆けつけたくても年末の慌ただしさ。
「母さん、ごめん。」と心の中で話しかけたら
「なんも来なくていいして、おめは嫁の役目をちゃんとやせ(なにも来なくていいから、あなたは嫁の役目をちゃんと果たしなさい)」
そう言ってる気がした。

感謝を込めて『ありがとうございました』
by koro49 | 2018-01-06 20:09
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