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ヴィヴィアン・マイヤーを探して

先週レンタルしたビデオは5本。
5本借りた方が安いというのでそうしたけど、明日と思った返却期限は今日だった。
朝から雨、午後は強風。

そんな訳で午後から観たのは『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

何か言葉に出来ない感動。
家庭的にも個人的にも謎の多い人が、家政婦、乳母として働き、当時かかわった子どもたちや数少ない友人の証言、美しい写真、8ミリ、16ミリの映像と共に、彼女に迫っていく様子にときめいた。

写真家、ジョエル・マイロウィッツのインタビューから。

写真家が被写体を通して映し出すのは、個人の人間への理解だ。
彼女の写真が表すのは、やさしさ、鋭く感じ取った災いへ至る○○な気配。
ゆったりと甘いひととき。
彼女は驚くべき洞察力と思いやりを持っていた。
だからこそ乳母の仕事に就いたんだろう。

彼女は被写体にどれだけ迫れるか見極め
それからシャッターを切ってる。
つまり彼女はあかの他人と
ある空間を共有する時
相手が身構えない距離を保つ
そしてここぞという瞬間へ誘うのさ
自分と被写体ふたつの存在が共鳴する瞬間をね

そして去る

○○の部分、自分でメモしたのに走り書きを判読できずごめんなさい。

ドキュメンタリーの最後、ヴィヴィアン自身の声で終わっている。

何事も永遠には続かない
クルマと同じで席を譲るの
終点に着いたら誰かが交代する
ここまでよ
お隣に行ってこなきゃ


ヴィヴィアンが残した膨大なネガ・フィルムや録音テープ。
偶然発見され、美術館には背を向けられたけど、発見者の努力で各地で写真展が開催され、ヴィヴィアン・マイヤーは多くの人に知られることになった。
その写真をジョエル・マイロウィッツは

人間を理解し
包み込み
遊び心を添える


と言っている。

彼女自身が心に持つものを『闇』と言った人もいたけど、それがあったから撮れた写真なのか?
そうは思わない。
写真について少しは学んだのだろうか?
などなど・・・私はモノクロの写真たちに、今もドキドキしている。
国内での写真展は未だだと思うけど、開催されたら是非行きたい。

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結局、レンタルビデオは残り二本を観ずに返却。
午後の強風でクレマチスが倒れそうで、つっかえ棒を何本も。
頭でっかちになってしまって、風に揺れている。
咲き終わったら短く切ってしまおうか考え中。
本日写真を撮れなかった日で、昨日作った菜花とヒジキの中華風サラダ。
ヴィヴィアン・マイヤーを探して_c0024861_2257462.jpg

by koro49 | 2016-05-07 22:19
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