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あざなえる縄のごとし

昨日煮た小豆は、結局夜間営業にはエネルギー不足で、冷蔵庫に保存。
朝食の片付け後、漉し餡作り。
これは一度漉した小豆の殻を、もう一度漉したもの。
いつもこの様に二度漉すけど、二度目でも200gほどはあったと思う。
あざなえる縄のごとし_c0024861_16352554.jpg
小豆は水の中で漉すから、それを袋に流し入れ、クルクルッと回して体重をかけ水分を押し出す。
今日は、その時の袋のクルクルの状態を見て、昨夜の番組での『人生あざなえる縄のごとし』を話した黒柳徹子さんと、教えてくれた向田邦子さんを思っていた。

当時、ほとんど毎日のように会っていたと言うふたり。
ある日「『人生あざなえる縄のごとし』って、人生は、良いことと悪いことが、縄のように交互に来ることなの・・・」と、向田さんが教えてくれたという。
このことわざが元なのだろうけど、糾うって縄をなうことなのですね。
昨夜の友人からの携帯メールにも「人生糾う縄のごとし」って。
友人が同じ番組を見たのかどうかは確認しなかったけど、みゆきさんも歌っているように、喜びと悲しみを繰り返すのが人生。
そんなことを、餡を練りながら、昨日のオクラとモロヘイヤを刻んで冷凍用に作ったりしながら思っていた。

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向田さんが航空機事故で旅立ってから、早いもので今年は三十三回忌だったという。
昨日の番組では、今なお読まれ続けている向田作品も取り上げられていた。
私も向田さんの作品は好きで、お下がりの文庫本もあるので、時々虫食い状態で読んでいる。
中でも『父の詫び状』は、電車の中で読んで涙が止まらなくて困った本だし、『子どもたちの夜』というエッセイの、鉛筆を削る母の描写に、私の母は台所で包丁で削ってくれたっけ、しかもとても綺麗に・・・と思い出したりした。
母と向田さんは、同年生まれ、母は9人弟妹の長女、向田さんは、4人弟妹の長女として、家族の心配をしていたのだと思う。
それを、番組に出演していた澤地久枝さんは『昭和の長女』と言っていたけど、あぁ、そうだなって納得。
姉弟が多かった昭和の長女(長男)には、長女(長男)の気質というものが確かに存在したのだと思う。
かくいう私は、6人姉弟の不出来な昭和の長女だな?!
当時の人には敵わないと、いつも思う。
向田さんの作品では、今は忘れられかけた美しい言葉に出会えるのも嬉しい。

もうひとつ嬉しかったこと、澤地さんが「向田さんの作品には『翳り(この字が相応しいのかどうか自信がないのですが)』がある」と話した事に対して。
向田さんの家族、恋愛、裏側、それらが、同じ家族を書いたとしても、きれい事だけではなく描かれるのだろう。
その時思ったのが、故郷で言う言葉『こころつみ』
心の罪でもなく、どうやって書くのだろうと、ずっと思っていたけど、「小さいのに【こころつみ】作って・・・」のような言い方で、その人を哀れむような時に使っていた。
漠然とは解るけど、昨日の澤地さんのお話で、それがその人の持つ『翳り』なのだと、ちょっと頷く。
その『翳り』が、その人に深さを与えてくれるとしたら、『こころつみ』も又良しと思った昨夜。

9/6 17:10 追記

昨日の『かげり』について、澤地さんのお話が載っています。

光が当たるところにある陰。
かげりというものがある。
それは悲しみでもありますよね、かげりっていうのは。


そうですね。
『こころつみ』も、心に抱える重荷のようで、悲しみでもあるのだと納得。

映画監督の是枝裕和さんは、

家族同士でも謎は抱えているし、闇は抱えているし。

と、おっしゃっています。
澤地さんの『かげり』と同じですね。
by koro49 | 2013-09-05 17:19 | 思うこと
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